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『LAST TEENAGE APPEARANCE』(ラスト・ティーンエイジ・アピアランス)は、日本のミュージシャンである尾崎豊のライブ・アルバム。副題は「THE MYTH OF YUTAKA OZAKI」(ザ・マイス・オブ・ユタカ・オザキ)。 == 背景 == 尾崎豊は十代最後のツアーとして、1985年11月1日の四日市市民文化会館を皮切りに「LAST TEENAGE APPEARAANCE」ツアーを行い、全国26都市全27公演を行った。 その後、同ツアーの中から11月15日に行われた代々木オリンピックプール第一体育館でのライブ映像を編集したテレビ番組『YUTAKA OZAKI Last Teenage Appearance 早すぎる伝説 1985・11・15』(フジテレビ系列)が1986年1月14日に放映され、テレビ局やレコード会社に再放送を希望する署名が殺到し、3月25日に再放送されている。番組で使用された映像は後にライブビデオ『625 DAYS』(2005年)の特典として収録されている。また、当日の「十七歳の地図」演奏時のMCで、「ここにあつまってきてくれたお前らの中に、俺と一緒に本物の愛や真実をみつめようと歩いてゆく連中がいるならば、俺はそいつの為に命を張る」と言った事に対して、当時一部で批判があった〔PATiPATi1986年2月号 インタビューより〕。 同年7月には全国約100カ所で、新宿ルイードでのデビューライブから代々木オリンピックプールでのライブまでを編集した『もっともっと速く!』がフィルムコンサートとして上映され、約20万人を動員するなど注目を浴びていたが、尾崎本人は同ツアーの最終日である1986年1月1日の「福岡国際センター」公演を最後に無期限の活動休止期間に入り、単身渡米しニューヨークで1年間生活する事になる。 1987年1月に尾崎は帰国し、レコード会社をCBSソニーからマザーアンドチルドレンへと移籍、7月からは「TREES LINING A STREET」ツアーを行っていた。その最中、CBSソニーのプロデューサーである須藤晃によってこのアルバムが企画され、10代の尾崎のドキュメンタリーとして制作された。しかし、尾崎豊自身はこのアルバムの発売を了承したものの、当時方向性を見失い、うまく作品が作れないことで落胆していた。そのため、クレジットにはプロデュースとして名前が載っているが、この作品には全く関わっていない〔2001年版ライナーノーツより〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「LAST TEENAGE APPEARANCE」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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